現役の寮生として、全国的に進められている廃寮政策についてはどう感じていますか? それを踏まえた上で、今後熊野寮でどのような展望が期待できるかも教えて頂けると嬉しいです。
学生に対する福祉として、学生寮というのは非常に重要だと感じています。僕は、熊野寮という家賃が安くてご飯もついてきて、しかも友達ができる施設が無かったとしたら、学生生活を営む上で経済的・精神的に大きな困難を感じていたと思います。 一方で、大学に通うかどうかは個人の自由であり、従って学生に対する福祉を手厚くする必要などない、あるいは奨学金などの「出世払い」のような福祉で構わんという意見もあります。 僕個人としては、このような意見には異論がありますが、学生に対する福祉、ひいては(国立)大学の存在についての議論が広くなされることが大事だと思います。日本は民主主義国家ですから、議論を経ても「学生の福祉は削るべき」という結論になるなら仕方ないかなと思います。 上記のような議論を行なうためには、学生寮の良さや、その必要性というのが一般に知られている必要があると思います。熊野寮が、あるいは寮生が今後行なうべきことは、それらを世の中に周知することなのかなと思います。
議論主義の国家において大学に期待される役割は色々ありますが、その内の一つが真っ当に議論できる力を与えることです。これは議論主義国家に住まう民として最低限必要なスキルなわけで、大学はそれを習得させるやくめがあるわけです。 これは中等教育が知識偏重型で多分野の学習を進めるのに対し、高等教育では議論・論証偏重型で単一分野に専従することからもわかります。つまり高校は議論遂行能力の下地を作る場であり、大学はそれを基にしてより深く難解な問題に対する論理的なアプローチをしていく場である、ということですね。 大学は議論主義社会の基盤の一つをなすわけで、欠くべからざるものなのです。日本が議論主義社会である以上、議論を行える国民を生み出すことは国家の礎なわけで、国の為、みんなの為に必要なことなのです。 となれば公共的な性質が大学に付帯されるのであり、経済的状況という、社会的な要因を理由に学ぶ権利が剥奪されてしまうのは公平とは言えません。 寮はその点で経済格差の是正のために存するのであり、なくすことなど論外です。 とはいえ、不況の煽りを受け、あとは文科省が財務省から予算を引っ張ってこれないという霞ヶ関的理由もあって寮なんていらんやろ、的な意見が出るのは、まあ、ありうることです。 そんな中、熊野寮がどうしていけばいいのか、とりあえずは寮の必要性を喧伝していくことが大事だと思うし、大学ってなんで行くの? という疑問にきっちり返せるようになればいいのではないでしょうか? それこそ寮生の周りからでもいいので、そういった言説を作り出していくことが大事なのでは? なんていったって議論社会であり、同時に世論社会なんだし、日本って。
学生に対する福祉として、学生寮というのは非常に重要だと感じています。僕は、熊野寮という家賃が安くてご飯もついてきて、しかも友達ができる施設が無かったとしたら、学生生活を営む上で経済的・精神的に大きな困難を感じていたと思います。 一方で、大学に通うかどうかは個人の自由であり、従って学生に対する福祉を手厚くする必要などない、あるいは奨学金などの「出世払い」のような福祉で構わんという意見もあります。 僕個人としては、このような意見には異論がありますが、学生に対する福祉、ひいては(国立)大学の存在についての議論が広くなされることが大事だと思います。日本は民主主義国家ですから、議論を経ても「学生の福祉は削るべき」という結論になるなら仕方ないかなと思います。 上記のような議論を行なうためには、学生寮の良さや、その必要性というのが一般に知られている必要があると思います。熊野寮が、あるいは寮生が今後行なうべきことは、それらを世の中に周知することなのかなと思います。
議論主義の国家において大学に期待される役割は色々ありますが、その内の一つが真っ当に議論できる力を与えることです。これは議論主義国家に住まう民として最低限必要なスキルなわけで、大学はそれを習得させるやくめがあるわけです。 これは中等教育が知識偏重型で多分野の学習を進めるのに対し、高等教育では議論・論証偏重型で単一分野に専従することからもわかります。つまり高校は議論遂行能力の下地を作る場であり、大学はそれを基にしてより深く難解な問題に対する論理的なアプローチをしていく場である、ということですね。 大学は議論主義社会の基盤の一つをなすわけで、欠くべからざるものなのです。日本が議論主義社会である以上、議論を行える国民を生み出すことは国家の礎なわけで、国の為、みんなの為に必要なことなのです。 となれば公共的な性質が大学に付帯されるのであり、経済的状況という、社会的な要因を理由に学ぶ権利が剥奪されてしまうのは公平とは言えません。 寮はその点で経済格差の是正のために存するのであり、なくすことなど論外です。 とはいえ、不況の煽りを受け、あとは文科省が財務省から予算を引っ張ってこれないという霞ヶ関的理由もあって寮なんていらんやろ、的な意見が出るのは、まあ、ありうることです。 そんな中、熊野寮がどうしていけばいいのか、とりあえずは寮の必要性を喧伝していくことが大事だと思うし、大学ってなんで行くの? という疑問にきっちり返せるようになればいいのではないでしょうか? それこそ寮生の周りからでもいいので、そういった言説を作り出していくことが大事なのでは? なんていったって議論社会であり、同時に世論社会なんだし、日本って。