2017/11/29
「1983年4月15日、吉田寮と熊野寮の寮生数名が時計台二階の総長室に乱入し、沢田総長の前で抗議文を手渡した。一ヶ月後の5月18日早朝、機動隊が二寮を急襲し、時計台二階に上がったことをもって建造物侵入で三名を逮捕し、一名を指名手配した。寮生らは「緊急抗議集会」を開き、集会後の午後1時頃、学生部棟に抗議に訪れた。学生部長は退去を命じ、寮生らは渋った。1時5分、大学当局は出入り口を塞いで寮生を建物に閉じ込め、機動隊を呼んで一網打尽にした。結局、八名が建造物侵入や公務執行妨害で逮捕され、うち五名が起訴された」 この文章は吉田寮ウィキペのコピペですが、事件自体は吉田寮資料集(https://sites.google.com/site/yoshidadormitory/zaiki)に記述があります。またこの数ヶ月前には時計台で吉田寮・熊野寮連合軍と大学職員がもみ合いになり、寮生8名が二階から転落して腰の骨を折る等の大怪我を負った事件も起きています。 やっぱり時計台占拠はリスクのある催しだと思うし、そのことをよく認識した上で行動を起こして欲しいとは思います。
個人的見解を述べます。 勝利の歴史と見るか敗北の歴史と見るかで、全く違った方針が立てられると思います。 ただ、事実としてそのような激しい闘いを経て、34年後の今もなお、経済的諸権利と政治的自由のある自治寮が存続しているのです。 寮生が逮捕されて寮は自由を失い展望を失い空中分解した訳ではなく、むしろ34年の歳月を経て寮生数を倍増させ、ますます活性化しているのです。 朝鮮侵略戦争体制構築に向けて改めて学生自治破壊に踏み込み、学内管理強化を進める当局に対し、学生の根底的な決起は不可避でしょう。
個人的見解を述べます。 勝利の歴史と見るか敗北の歴史と見るかで、全く違った方針が立てられると思います。 ただ、事実としてそのような激しい闘いを経て、34年後の今もなお、経済的諸権利と政治的自由のある自治寮が存続しているのです。 寮生が逮捕されて寮は自由を失い展望を失い空中分解した訳ではなく、むしろ34年の歳月を経て寮生数を倍増させ、ますます活性化しているのです。 朝鮮侵略戦争体制構築に向けて改めて学生自治破壊に踏み込み、学内管理強化を進める当局に対し、学生の根底的な決起は不可避でしょう。
すまん
大事なことなので二回言いました。